算命学との出会い
- うりんどう 卯霖堂

- 2 日前
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更新日:20 時間前

中医学と共に
2011年 京都に移住した1年ほど後、激動の数年間を過ごしたことで無理が祟り私は心身を壊しました。
半年ほど家から出られない日々を過ごしたのですが、少しずつ回復していく過程で強く心に決めた事がありました。
これからの人生は、自分が心からやりたい事をやろう。
そこからの私は、周囲も驚くほどの回復を見せました。
セラピストとして社会復帰をし、さらに突き進み、あっという間に自宅サロンをオープンし、その数年後の2017年には自店舗サロンをオープンしました。
それが現在の卯霖堂サロンです。
自店舗サロンオープンとほぼ同時期に、中医学も本格的に学び始める事になりました。
中医学と出会ってから約10年、待ちに待った機会。
そして更に、私の算命学のお師匠さんとの出会いも重なり、全ての流れが一つの大きな河となり智の大海へと向かう事となりました。
新たな出会い、それとも再会
算命学の師匠と出会うまでは、その存在について全く知りませんでした。
ただ…ピンと来た。
幼少期より、自分のカンには謎の自信を持っていた私です。
これは、間違いなく必要な流れだと最初から確信がありました。
中医学と算命学は同じ古代中国のルーツを持ちます。
易に端を発し、基礎理論として陰陽学説・五行学説などの自然観を共有している訳です。
中医学で基礎を学んでいた私は、算命学の知識を驚くほどのスピードで吸収しました。
水を得た魚のよう、とはきっとこの事。
(知らんけど。)
正しい表現をすると、私の場合、算命学の基礎は暗記して覚えているわけではなく、”その意味をパッと理解できる”という感覚で、”思い出す”に近いかもしれません。
あるいは幼少期から、マイノリティな環境で人間について悶々と考えた日々の答え合わせの様な感じ。
前世も近い事やってたんやろな。
(知らんけど。笑)
源流を知る
大海にも大河にも、必ず水源となっている場所があります。
山の鉱石の隙間からポタッポタッと漏れ出る岩清水の様に、コトが起こる場所がある。
特に古代思想の中で、「水」は「叡智」の象徴でもあり、「家系」「先祖」の流れ、つまり生命の源流を表してもいます。
誰しも今世を生きている中で、「本当の自分を知りたい」または「なぜ生きているのか」などを疑問に思う事があると思います。
私の場合は、自身の心身のコントロールが難しかったことや、兄が知的障害を持って生まれたことについて、幼少期から様々な悩みや葛藤を経験し、解決の糸口を求め多くの知識を学んだ事で現地点まで生きて来ることができました。
私にとって算命学の学びは、自分のルーツを知り、自分はその大きな流れの中に生まれた事を知ること、だったのだと思い至りました。
皆さんにとってもそうで、人は一人で生きている気になってしまいますが、決してそうではない。
自身のルーツや生まれた環境には良し悪しはなく、ただ流れがある事を知る。
そして、今ある生命をどう生きるか、より良く生きるための術を知り、先人達に感謝するための一助となるのが算命学の様な運命学の知識・智慧なのだと思います。
自分を知ることで、他者を知ることもできる。
他者を知ることで、この世を知ることもできる。
そうやって何千年も紡がれてきた流れの一端を学ぶ。
微力ですが、そのお手伝いが出来ていることに日々感謝をしています。
卯霖堂


