安寧考 - 四箇院と福田思想

仏教寺院の医療・福祉的な役割
石田純郎先生の著書『世界の美しい病院』を読んでいて、「病気を癒す場」「宗教施設」「生産・財源」が一体だった時代が世界的に長く続いていたことを知りました。
医療の財源として、土地・ぶどう畑・醸造所・薬草園・薬局などが一体となっている形です。
そこで、日本にも古くから仏教寺院と病院の機能の結びつきがあったのではないかと気になり、少し調べてみました。

参照:Amazonページ
四箇院 しかいん
四箇院は、聖徳太子の伝承の中で語られる、「寺院が医療・福祉を担う」という理念の原型といわれています。(ただし、太子の時代にそのまま実在した制度とは言い切れず、歴史的な評価は分かれているようです。)

敬田院(きょうでんいん)
寺の中心。仏を敬い、教えを学び修行する場(伽藍・教学の場)
施薬院(せやくいん)
薬草を栽培し、薬を無償で施す
療病院(りょうびょういん)
病者を収容して看護・治療する
悲田院(ひでんいん)
孤児・老人・貧窮者・身寄りのない人を養う
土台にあるのは、仏教の福田(ふくでん)思想です。
善行の種をまけば福の実りがある「田」にたとえた考えで、次の三つがあります。
敬田:仏・法・僧を敬う
恩田:父母や師の恩に報いる
悲田:貧しい者・病者を憐れむ
四箇院は、この敬田に悲田を結びつけ、さらに施薬・看病を加えて具体化した構成です。
祈りと慈善が別のものではなく、同じ「功徳を積む行い」とされた点が、ヨーロッパの修道院医療とよく似ています。(財源としての機能が無いところが仏教的なのでしょうか。)
聖徳太子が飛鳥時代に四箇院をすべて整えた、という伝承があります。
ただ実際には、「寺院が福祉と医療を担う」という理念が古くから意識され、のちに太子に結びつけて語られたと考えられていて、そのこと自体が重要な歴史資料になっているそうです。
日本の寺院は、時代とともに役割を大きく変えてきました。
そのなかで四箇院は、物質的な支援だけでなく、精神的な救済や社会の安定まで目指していた点で、とても先進的だったのではないでしょうか。
体の不調だけでなく、孤独や貧しさ、心の不安までまるごと受けとめようとする姿勢には、時代を超えて学ぶところがあります。
役割が細かく分かれた現代だからこそ、人が安心して身を寄せられる包括的な場の意味を、改めて考えてみたいと思います。
卯霖堂

